ディズニー映画「ノートルダムの鐘」におののく。
劇団四季の「ノートルダムの鐘」に続きディズニー映画版も見てみました。
その前に作者のユーゴーについて調べてみたのですが、あの「レミゼラブル」の作者だったとは。
お恥ずかしながら知りませんでした。
でも偶然にもレミゼラブルはブロードウェイで鑑賞したことがあったんです。
当時は英語がわからず内容がさっぱりわからなかったのですが、ヒュー・ジャックマン主演の映画を日本語で見てやっと理解できたのでした。
言葉って大事ですね。
◎目次
ディズニー映画「ノートルダムの鐘」感想
確かに劇とは設定の異なるところがありますね。
中でも大きな違いはフロロー。
アニメでは根っからの悪人ではないですか。。
酷い酷すぎる!
弟の子じゃないのはいいですけど、なんの罪もないジプシーを殺してしまい、意図せず面倒をみることになってしまっただけだったの!
善良な市民にも容赦なし!
ディズニー史上最悪の悪人なんじゃ、、と思い他のヴィランズ(悪役)を調べてみると、負けず劣らず酷いヤツらがひしめき合っていたことを再確認してちょっと驚いています。
ファンタジーの醍醐味は善と悪との戦いにあるのですね。
ヴィランズの存在
人は現実の世界を物語の世界に重ねることで、現実を省みることができます。
現実のヴィランズは物語の中のヴィランズをどのような目で見るのでしょうか。
明らかに悪意に満ち、人の命を奪う人とまではいかなくとも、悪は誰の心にでもあると思います。
だから社会は理不尽で悪に満ちている。
でも、そんな世界だとしても善良な人間になりたいと思いませんか?と問いかけられているように感じます。
カジモドは悪人に育てられたけれど、もともと心の優しい子だったから善良な人間に育ったのでしょうか?
それとも形は悪いですがフロローに支配され説法を聞きながら育つ中で、自分を律することを学んだ結果なのでしょうか?
人が人間になるとき
劇と映画を見て、人を人間にするのは、自立、勇気、愛なのだと思いました。
あ、これって正にアンパンマン。
アンパンマンマーチの中では、
「そうだ おそれないで みんなのために
愛と勇気だけが ともだちさ」
とうたっています。
やなせ先生は尊敬する方の一人ですが、やっぱりアンパンマンってただのアンパンじゃない。
アンパンマンは、正義のヒーローである善良な人間を表しています。
ヒーロー像として特に「みんなのために」ということが肝なのではないでしょうか。
人のために生きたいという願いは、宮沢賢治の作品「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」にも込められています。
自立、勇気、愛を持ってして自分以外の人のために生きることで、幸せな世界が作られるのではないでしょうか。
結びに−アニメの良さ
ノートルダムの鐘に戻りまして、劇では大人サイズだった石像たちが、アニメでは小さくかわいいキャラになっています。
アニメならではの描き方で、カジモドが孤独じゃないということが心から信じられる存在になっています。
鐘つき堂からの町の景色も描かれていてよかったです。
ノートルダムからはこんなに素晴らしい景色が見渡せるのかと晴れやかな気持ちになりました。
カジモドは町の人から隔離され上から町を見下ろすことしかできないけれど、下に住む人たちにはこんな雄大な景色は見られないですもんね。
そしてなによりも、カジモドは仲間を守り、町の人たちに受け入れられてハッピーエンドを迎えています。
これぞディズニー。
カジモドよかったね。
社会に出て悪を体験した分だけ人は強くなり、悪に対する耐性はついていきます。
悪に屈せず染まらず、強く生きるために、自立、勇気、愛を味方につけて生きていけたらと思います。